居場所が無かった

ディグニータ

 

 

「ディグニータ」(1997年)は、団塊ジュニアに向けて開発され、スキンケア、メーキャップ、そしてフレグランスで構成された高級総合ブランドでした。

 

ブランド名の「ディグニータ」は、「威厳, 尊厳, 貫禄, 品位; 面目」などの意味をもつ英語「DIGNITY」からの造語「DIGNITA」です。スペルがイタリア語と同じであったことから、イタリア駐在したことがある人からは「ディニータ」が正しい発音ではないかと言われました。しかし、あくまでも英語からの造語であり、強さを表す濁音の「グ」が大事だと思い、そのまま使うことにしました。

 

コアターゲットとした元ハナコ族の団塊ジュニアは、当時30代に入り、仕事上のキャリアも重ね、消費トレンドを引っ張る存在になっていました。バブルの後遺症は残っているとは言え、良いモノを見極め、良いモノを求めようとする性向をもっていました。(と言われていました。)

 

その中で、チョッピリ高級感があり(4,000 円~8,000円クラス)、彼女たちの期待に応えられるブランドが資生堂のブランド体系からポッカリと空いていたのです。資生堂の中核である「エリクシー ル」はマスマーケットに向けたブランドであり、彼女たちの消費マインドを満足させることはできませんでした。また、その上のランクにある「リバイタル」は40代後半以上の年齢層に向けたブランドであり、更に上のランクの「クレ・ド・ポー ボーテ」では価格的に高過ぎました。

 

あまりブランドを増やしたくないので、当初は、「リバイタル」の対象年代を拡げるリニューアルで対応しようと考えました。その時の「リバイタル」は、1988 年に提唱した「サクセスフル エイジング」を象徴するブランドとして高齢者向けの意味合いが一段と強くなり、「アンチエイジング」ブランドとして定着していたのです。とは言え「アンチエイジング」は、決して高齢者だけのものではなく、化粧品市場では20代から意識されるようになり始めていたので、リポジショニングの可能性はあると考えたのです。

 

しかし、色々と検討した結果、その案は諦めました。30代(以上)の高価格帯と言う新規の市場に向けたマーケティングをするには、インパクトが足りません。それ以前の問題として「リバイタル」は、「高齢者向け」として売り手側の意識の中に強く定着しており、切換は難しいと判断したのです。 

 

そこで、新しいブランドを開発することに方向転換しました。

 

コンセプトは、「いき(粋)」。対象とする彼女たちとの共感を狙ったコンセプトです。メーカー側から言えば、ライフスタイルメッセージであり、生き方(生きざま)提案です。少し背伸びしたスノッブな気持ちへのコミットメントです。ヒントは、1976年に発売された名ブランド「インウイ(INOUI」。当時言われ始めた“New Working Woman”をイメージして創られました。そんな彼女達御用達のブランドとして「インウイ」は、最先端のライフスタイルメッセージを発し、強い共感を得ました。(注;現在の「インウイ」は代を重ね、全く違ったブランドになっています。)

 

「いき(粋)」は、企画スタッフと3人で残業をし、悩みまくっていた時に閃いたコンセプトです。

スキンケアはアンチエイジングをベースとした「上質な肌」をテーマにしましたが、ブランドとしての共感メッセージが見つからなかったのです。ブレインストーミングをしている内に、男女雇用均等法の中で育った30代元ハナコ族の彼女たちと「インウイ」が結びつきました。そして、キーワードとしての「いき」の閃きです。

 

早速、「いき」について調べることにしました。

しかし、期待する情報は、中々見つかりませんでした。やっと探し当てたのは、1930年に九鬼周造が書いた「『いき』の構造」です。この本は、随分と参考になりました。「いき」の形、色、そして心のあり方、男女の位置関係などが「構造」として書かれてありました。

 

薄い本ですが、内容は哲学的で難しかったことを覚えています。更に見つけ出したのが、「いきの構造を読む」という本でした。難解な「『いき』の構造」を分かり易く(?)解説した参考書です。その中では、九鬼周造の考えに異を唱えたりしているところもあり、これもまた参考になりました。

 

パッケージデザインにこのエッセンスが込められました。

デザインは、資生堂のデザイナーとアメリカ在住のイタリア人デザイナーのコラボレーションで行われました。どの位「いき」の心がイタリア人に伝わったか分りませんが、出来上がったデザインは満足できるものでした。メーキャップとフレグランスは主に資生堂デザイナーによるものです。直線使いやチョッとした崩しなどの要素でかなり具体的に「いきの構造」が表現されています。

 

ところが、広告表現では、こちらが意図した「『いき』の構造」が全く採り入れられませんでした。広告デザイナーいわく、「私達が解釈した『いき』なのです」と。猛烈に抗議しましたが、組織の壁、組織権限で変更することが出来ませんでした。プロジェクト体制で進めるべきでしたが、後の祭り。

 

私の中では、女性と男性が背を向けた形をイメージしていたのです。しかし、出てきたのは、女性二人が半裸で絡んでいるビジュアル。全く正反対のものを出してきました。後に、理由が分りました。もうひとつのテーマとして、「上質な肌」をあげていたからです。宣伝では、「いき」のイメージよりも、商品ベネフィットとしての具体的な表現を優先させたのです。これで、このブランドは企画者の手から離れ去ってしまいました。

 

本当の悲劇はこれからです。

 

広告はともかく、商品としては、非常に満足できるものが出来上がり、私が手がけた企画としてはベストのグループに入るものです。発売し、販売する側やお客さんからも高い評価をもらいました。特に、狙ったお客さんには、その「上質性」「いき」の心が伝わったかのような反応がありました。

 

とは言え、売り上げは期待したほどはありませんでした。その理由を簡単に言うと、資生堂の販売チャネルと対象のお客さんが対応していなかったのです。

 

イメージしたお客さんは、町の化粧品屋さんには来ていませんでした。

GMSやドラッグストアも場違いです。化粧品屋さんの客層は比較的高年齢で、高級品としては「リバイタル」を販売。GMSでも欲しい価格帯の商品であったので、ブランド性ではなく高価格を軸に販売していました。

 

ブランドとして相応しい販売チャネルは、デパートとファッション立地にある一部の化粧品屋さんでした。しかし、一番相応しいと思えるデパートでは、更に高価格で資生堂最高級ブランドの「クレ・ド・ポー ボーテ」が主力ブランドとして扱われていました。ここでは、「ディグニータ」の価格帯は中途半端だったので推奨ベースに乗ることができなかったのです。

 

要するに、チャネル不適合だったのです。客層と価格帯、コンセプトなどの組み合わせでみても市場は存在したはずだったのですが、それらに自社の力・能力・資産などから戦略の構成をみると、大きなズレがあったのです。戦い方の基本なのに、それを忘れてしまうことは意外と多いものです。孫子の兵法にある「敵を知り、己を知れば百戦危うからずや」なのにです。 

 

ここまで書くと、全く売れなかったと思えるかもしれませんが、そんなことはありません。追加で発売した商品も、このブランドならではのこだわり・独自性をもっており、単なるイメージを超えた優れものアイテムとして愛用され続けました。期待したほどの売上ではなかったものの、お客さんからは強い支持を得ていたブランドだったのです。

 

ここで追い討ちをかけられたのは、配置ブランドの整理でした。

様々な業界でマーケティングの再構築が始まり、ブランド数、商品数の削減、スリム化が始まっていました。その中で資生堂も、多くのブランド・商品数の見直しをすることになったのです。

 

いくつもの候補の中に、「ディグニータ」も挙げられました。誰もがするように、産みの親であり、ブランド担当であった私も反対しました。もちろん理由は、独自の価値をもち、高いロイヤリティをもったブランドであることです。加えて、コンセプチュアルなブランディングとそれを具現化した商品設計には我ながら自信作だったのです。

 

しかし、別の面から見ると、私はブランド・商品体系のスリム化には賛成でした。売上高至上主義ではなく、利益率を高め、それぞれの商品の質を向上させるべきであると思っていたのです。私は決断しました。「ディグニータ」の退場を。

 

失敗の大もとは、自社資源とのアンマッチングだったと思っています。

 

その後、ここで空いた市場の攻略は、「リバイタル」ブランドが果たしています。当初は難しいと判断した「リバイタル」での対応は、アンチエイジングに優れた成分の開発と生産技術の研究で可能になったのです。